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2020年1月。明けましておめでとうございます。

昨年、はてなダイアリーのサービス終了に伴い、当時公開していた内容のみをぎりぎりに移行しました。当たり障りのなさそうな部分を残してきたわけですが、いくつか読むと意外と「2020年の自分がやるべきこと」に近い部分が見えたのでこのまま続きを書いていくことにします。

 

ここで主に記録を残していたのが2010年くらいまで、ということで、その後のまとめ。

 

  • 2011年

3月、三度目の一時帰国予定が東日本大震災で延期。4月に一時帰国し、ここでスポーツ奨学生から学振DC2に切り替える。イースターにはオーストラリアで調査。6月にビザが切れたあと観光ビザで滞在延期して、7月に本帰国と同時に結婚し、改姓していないのにそのタイミングでパスポートを作り直して秋に再渡航、また12月に再渡航

 

  • 2012年

新暦・農暦ともに新年を香港で迎える。映像撮影など。2012年前期は関東と関西を毎週のように行き来しながら学会発表などし、2012年度後期からはじめての非常勤を開始。思いがけず2013年度からの身の振り方が決まり、博論提出前に大学院を退学することとなる。

 

  • 2013年

年始に首を痛め、人生で最も移動の多かったこの一年、ずっと肩と腕の不調に悩む。4月から学振PDとして採用される。受け入れ機関にはこの後2017年までお世話になった。この年、配偶者の転職が決まり、大阪に拠点を移すことになる。夏は上海の学会にエントリーし、なぜかPlenary sessionに割り当てられる。秋にマレーシアで二日間の調査。後期は大阪から関東まで毎週非常勤に通った(交通費は自費)。

 

  • 2014年

講義の合間を縫って、香港で最後の調査。このとき撮影した映像が2017年の発表の基本素材になる。2月に所属機関のシンポジウムに便乗し、ロンドン大で発表。4月から、大阪で通年講義の非常勤を開始。別科目なので初年度は準備に忙殺される。関東での科目は夏期集中講義に変更し、2019年まで継続した。2014年10月、雨傘運動の最中に香港へ渡航。このあたりまでは調査データから個別のトピックを切り出す形で発表していたが、次第に行き詰まり始める。香港で運動していたことで無理に耐えられていた身体が、前年の体調不良を経て前のように活動できなくなっていった。

 

  • 2015年

旧正月に台湾へ渡航、苗栗で「博論後のテーマのための予備調査」。二週間の滞在でかなり手応えがあったが、その後ペンディングせざるを得なくなる。2015年前期に第一子の妊娠が判明、悪阻と戦いながらはじめての共著論文集の原稿を執筆。2015年末の出産に伴い、2015年11月から2017年3月まで、学振の制度を利用して研究を半休業した。非常勤については補講で対応した。

  • 2016年

研究を休んでいたはずなのだが、産後一ヶ月ほどで論集の再校を戻したのに始まり、採点登録、母校で研究員になるための申請、学振関係の書類、となぜかPCに向かっていた記憶。5月には紀要論文を投稿し、8月に子どもを連れての集中講義で復帰。通年講義を後期の土曜二コマ連続にして継続したため、9月からは週一で本格的に出勤。秋には、このダイアリーでずっと読書会の記録を書いてきたSterne『聞こえくる過去』邦訳版の書評を執筆。

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 一方で、はじめての育児。病気は少ないが寝ない子だったので体力と睡眠時間をかなり削られた。幸いなことに、近隣でいわゆるママ友に恵まれて、フィールドワークの経験もあって、保育園に通わせずに研究をしながらも地元の子育てコミュニティに溶け込むことができてかなり救われた。2016年の12月は保活で大半のエネルギーを持って行かれた。「研究している時間は証明が出ないので仕事と見なされない」という事実に直面して呪いをかけられる。

 

  • 2017年

子どもが一歳になり、一時保育を経て無事に認可保育園に入所した4月から学振に復帰、非常勤も通年授業に戻る。しかし集団生活を開始した一歳児がいかに病気で休むかを知らなかったため、5月末に学会発表、7月半ばに国際学会発表を入れてしまい、研究会等もフル参加して家庭が回らなくなる。7月はアイルランドで映像作品発表をしたが、飛行機が飛んでから準備を始めたような状態だった。その反省を踏まえ、9月に上海の学会に家族で参加。この9月までで学振PDの採用が終わる。後期は非常勤が週四コマに増え、講義を終えて保育園に迎えに行き、病院に寄って帰宅してからは寝かしつけまで何もできないという毎日が始まった。

 

  • 2018年

前期は育児と非常勤をなんとか回していけるようになった一方、研究する自分を模索していたが、体調が安定しない上にそれまでの行き詰まりが打開できなかったのもあって何か書くということができず、本格的に活動縮小していた。夏に第二子の妊娠が判明し、後期は体調を最優先して過ごす。12月に共同研究会の発表があり、そこでようやく今後の方向性を見出したものの、しばらく休みに入った。

 

  • 2019年

非常勤の採点登録終了と同時に産前6週を迎え、3月に出産、前期は自主育休で二人育児に専念。8月に再度子連れ集中講義で復帰。非常勤で一年休むと次がないため、後期は父親育休で週五コマを回す日々。

 

そして2020年。「10年も経つのに学位論文が書けていない」のだが、自分としてはその時その時の「(いろいろなことを)続けるために続け、自分一人の問題は先送りする」という選択を、今のところ後悔はしていない。今後も後悔しないようにするために、今年は何をするか、という話である。