韓国、中国

 8月後半は移動だらけでした。


 23−27日は、下のエントリでも書いた、国際伝統音楽学会の東アジア研究会に参加してきました。結局、かなりひどい風邪のまま別件の原稿も抱えて韓国学研究院の宿舎に宿泊、日本から持ってきた薬をありったけ投入して会議場と部屋を往復するのみという有様でしたが、それでもいろいろ勉強になりました。


 日本語話者は、日本で研究している外国人の研究者か海外で研究している日本人の研究者がほとんどで、韓国・台湾・香港勢に比べるとかなり少なかったです。


 コンセプトが東アジアの音楽なのもあり、英語が母語の人はかなり少ない会議でした。私も発表のとき、英語が問題だというコメントをいただきました。もちろん、文法の間違いや意味の伝わらない発音は許されないことですし、もっと勉強しなければならないと思います。


 ただ、閉会の挨拶の言葉が印象的でした。この研究会では、英語を母語としない人のほうが多く、初めてプレゼンテーションをする院生もいるし、そうした場所を提供できることはすばらしいことである、と。共通語として英語を使用するし、英語話者の助けがあって成立しているけれども、英語が母語の人のための研究会ではないと。


 「東アジアの音楽」という名の下に集まっているので、東アジアに住んで西洋音楽を研究する研究者が将来的に参加してくれることも考えているし、もっと他の地域からも参加者が集まるようになってほしい、今は不可能でも、例えば数十年後には北朝鮮からの研究者も参加できるような会にしたい、という閉会の挨拶はとても心に残りました。


 英語は便宜的に使われているだけで、もしみんなが中国語を話せたら中国語でも良いわけですよね。


 私はこういう場に出るたびに、学術的に使える北京語を勉強しなければ、と思います。今の調査に北京語は不要なのでつい後回しにするのですが、研究の手段として自分が使える言語は多いほうがいい、と切実に思います。特に、英語が苦手なまま海外に出ている身としては。


 発表が終わった27日夜には、香港の大学の学生さんたちと一緒に少しだけ繁華街に出て、街並みを見てきました。40代の教授も一緒に行こうとしていたら、別の教授から「明洞行くの?台北の西門と同じだよ、10代の行く場所だよ!」というツッコミが入っていましたが、実際まさにそんな感じ。それでも友人や彼女に頼まれた韓国コスメを纏め買いする香港人たち。香港で言えば旺角だという点で合意しつつ、日本だったら?と聞かれて、うーん原宿かなあ…、と思いましたが、どちらかというとミナミの空気だ、と後で気づきました。


 28日から30日は香港の人たちと一緒に広東省へ行ってきました。今回は英語を話せる人がほとんどおらず、どうなることかと思いましたが、同行者たち(普段からよく知っている人たち)とだけコミュニケーションを取る状況であれば、何とかなるもので。安心と同時に、もう私には半年少ししか残っていない、という危機感を新たにしました。


 大陸で海沿いの壁にかかっていた、一人っ子政策についての掲示。撮っていたら「何やってんの」と呆れた声がかかりましたが。


 しかし、個人で大陸へ行き、自分が矢面に立たなければならない事態になると、まだまだ北京語での会話は思うようにいきません。いったん広東語で考えてから頭の中で発音できる単語を探して当てはめる、という効率の悪さ。幸い、北京語は口語よりもかしこまった表現のほうがはるかに勉強しやすい言語なので、日本に戻ってからも諦めずに続けていきたいものです。