七月

「こんなはずじゃなかった」四月、「まさかの産後保育園なしワンオペ育児期よりきつい」五月を経て、もう耐えられなくなって登園自粛要請が解除された六月一日から四歳だけでなく一歳児も保育園に放り込んだ。

 

長子が一歳のときはちょうど同じ月齢から一時保育に預けはじめ、日額2600円で、二月とはいえ締め切り仕事もあったので、初日から16時迎えというスパルタで開始したら、二月も三月もほぼ泣きっぱなし&三月に質の悪い胃腸炎をもらってきた。その反省を踏まえて最初の数日は給食後すぐお迎え、しばらくして昼寝明け迎え、一か月経っても17時にはお迎えという手厚い(当社比)環境。でも昨年から兄の送迎で出入りしていた上、周りの子は慣らし保育も終わっていて、夕方に泣いていると兄が様子を見に来るという恵まれた環境で、次子はすぐ慣れたらしい。

 

それはいい。問題は仕事。9時登園12時降園では12時20分までのゼミは機能しないし、ちょっと落ち着いてきたら四月五月の無理が今頃出てきたのか毎日体調が悪い。もともと慣れない仕事の締め切り前は徹夜するタイプで、8年かけてようやく非常勤は現場でなんとかする習慣がついたのに遠隔授業で逆戻り、講義日前後はへろへろで使い物にならず、それでも自転車で、雨の日は8㎏の子を抱えてふらふらする子の手をつないで送迎。正直、研究どころではなかった。

 

五月のフル在宅授業に比べたら格段に楽だし、ようやくリアルタイムで一人の空間が確保できたので配信も併用したら一気に楽になったけど、それでも教材準備は必要で、やっぱりなんでこんな目に遭うのかと思いながらやっている。

 

ここで「もちろんもっと大変な人がいるのに」とはもう思わないことにした。正直なところ、現況が誰かと比べて恵まれているのは当たり前で、「40歳になったとき、安心してやりたい仕事に集中できる」ことだけを考えて、16年かけて準備してきたわけなので。そのために、みんなが当たり前に手にしているいろいろなものを捨ててきた。研究の中身以外については、努力が足りないと言われる謂れはない、と思っている。そうやって費やしてきた労力や時間を思うと、さすがにやりきれない。

 

それでも週に数時間は隙間時間ができて、ようやく書けるかもしれないと思って画面の向こうに見る景色が、かつての調査地が激変して飲み込まれていく姿なのはほんとうにつらい。この10年を、身体のことを心配せず、ただ仕事に突っ走っていられたら何か違ったのだろうか。そもそも、最初から関わらなければいまごろ平穏に暮らしていられたんじゃないか、とすら思い始めたりする。