第4回 ポピュラーカルチャー研究会「その声は誰の声? ─〈声〉の現在とポピュラーカルチャー」


 道に迷いつつマンガミュージアムへ。発表が三つ。

ノート(メモ)
  • 増田先生
    • 「声」のきめ[バルト 1998]
    • その分節的側面と超分節的側面[川田順造 1988](再生が可能な部分と、一回性を大きく負う部分)。
    • テクノロジーは「声」の超分節的な側面をも操作可能にした[吉見俊哉]。
    • 初音ミク……元音声を提供した声優の「身体性」はミクからは剥ぎ取られ、そこには最初から身体や人格が欠けている(購入時点で提供されているのはイラストレーションとして表現されたキャラクターの容姿)。そこにさまざまな要素を付加してキャラクターとして立たせ、人格のようなものを与えているのはユーザ。
    • {声-身体-人格}は一体であり、そこに「声」の超分節的側面が付与されるというのはわれわれの暗黙の思い込みでしかなく、それはもはや崩れつつある。
  • 小松先生
    • 公共空間における「声」の利用:音源の見えない音(電気的増幅とスピーカー音声)、音分裂症[R.M.シェーファー]、メディアの個人化と「文化騒音」[中島義道 1996]。
    • 1995年……視覚障害者用信号機の全国統一ガイドラインの徹底
    • 事例:大型電気店のBGMや放送は地域性を越えたAcoustic Communityをつくる
    • QOLの観点で考えると、騒音のない静かな社会というのは土台の段階であり、それをどうデザインしていくかが問題となる。
  • 今井先生
    • 初期アメリカのアニメ……吹き出しのかたちで「発話」と「内的思考」の区別がある(現在のマンガの原型)
    • 日本のアニメにはVoiceOverの手法が非常に多い
    • 記号的身体/押井守/記号化した身体について語る「イノセンス」はアニメーションという手法そのものがテーマ
  • ディスカッション
    • ラジオ業界において、トーク出演者は3名までという不文律が制作側にあるのは、リスナーの聞き分け能力を考慮している。
    • 街宣車はどんな部類になるか。
    • 声における「人格」は、文字に置き換えるとどのように考えられるか。肉筆であることに価値があるのはなぜか。


 時間がおしていて、せっかく関連も深い発表が三つもあったのに、休憩なし、閉会後のディスカッションタイムもなし、ということで、空気を読まずフロアから質問をしたら、後で校正が入るとのこと。でも電気店BGMや発車ベルの話が出たら黙っていられなかった……。Acoustic Communityについてはほぼ同じことをゼミで説明し、「共同体とは何か」の集中砲火にあったばかりだったし。


 匿名の「声」の洪水は、ただ音分裂症的に聴かれているだけではもはやない、と私は思っている。こちらの眼にうつる「一般の人」は、一見それらを「スルー」しているように見えるが、そのスルーという振る舞いの中に、聴覚的なレセプターが作られるプロセスが必ず隠れているだろうと感じる。事例を聴いて笑い声があがる、というのは、その音とそこに付与された意味が、「研究会」という場で「ネタ」として共有され理解されているからこその現象だ。自分の目標として、そういった過程をなんとか客観的に(良い音悪い音というラベリングではなく、最初の発表のようにきちんと理論立てて)分析できたら、と思うのだが、難しい。
 素材としての可能性については、小松先生からもコメントをいただくことができた。だって、このCD『エレクトリックパーク』、かなり売れているようなのだ。

エレクトリックパーク

エレクトリックパーク


 ……!!見ていたらこんなの出てきた。個人が採譜したものなんですか……。採譜音源は公式CDだろうか。フィールド録音から起こしたらメロディーだけでも結構手間がかかるのに、大変だっただろうなぁ。今ピアノないけど絶対買う。ミュートつけてヴァイオリンで弾く!


鉄のバイエル―鉄道発車メロディ楽譜集 JR東日本編

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 ↓以下は、発表の引用文献の一部。


第三の意味―映像と演劇と音楽と

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声 (ちくま学芸文庫)

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世界の調律―サウンドスケープとはなにか (テオリア叢書)

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イノセンス スタンダード版 [DVD]

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