月1保守

The Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction

The Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction

 第二ビルにて2007年最後の読書会。今回から新たなメンバーが加わることになり、さらに濃さが増した。第2章「彼らのために聞く機械」の途中を読む。以下覚書

  • 聴診器による間接聴診法が、それまでの直接聴診法に取って代わるようになったプロセスを描く。それを通して見えるものは?
    1. 音(身体<内部・外部>の音)に対する認識のしかたが変化したこと
      • 聴診器を通して聴こえる「身体の内部」の音は、それまでの医師を含めた人々が聞いていた「患者の音」とは大きく異なっていた。身体の内部の音は本来聴こえるはずのないノイズをも伴う。しかしそれに特化した聴き方を伴うことで、症状・徴候の理解をたすけ、その治癒に必要な情報をもたらすものであった。→聴取の技法
    2. 当時の社会における医師-患者間の(ひいては階級間・職能間の)物理的・社会的「距離」の変化
      • 直接聴診(患者の肌に直接顔を押し当てねばならなかった)は、身体接触による不快感を伴うものであった。それは医師が身分の低い者に接することに対する不快感と、上流階級の婦人が賎しい医師に接触せねばならない不快感というように階層的なものである。間接聴診の開発はこの壁を取り除くとともに、「医療」そのものの社会的地位を向上させた。
      • 声という音の役割のパラダイムシフト

 聴診技法以前は、病いの「身体」がその症状を伝える手段は、患者の「声」という音に限られていた。しかし、聴診器を用いることで、「音」の役割は反転する。医師は患者の声(ことば)ではなく、より適切に身体の状態を伝える「音」として、身体内部の音を把握することができるようになった。むしろそれ以降においては、「声」は唯一嘘をつく音源という位置づけになったといえる。

    • これは「まなざし」をめぐる議論のなかに視覚的ななにかの対置として繰り込まれる話ではない。そうではなく、確かに視覚と聴覚は相互に連関するのだが、連関しながらも、ここまでみてきたように医学において、聴覚が技術化されることが「まなざし」の成立に関して視覚に先行していると側面を持つことも見落としてはならない。聴覚は、視覚と絡み合いながら、視覚と同じように入り組んだ、しかしそれとは異なる歴史を形成している。
その後

 読書会後そのまま忘年会、といっても毎回終了後に飲み会なのでいつもどおり。新しいメンバーは即興演奏・ノイズミュージック研究の修士のひとだった。この読書会は関西の国立大の美学・芸術学研究室系統でマイノリティであるポピュラー音楽研究者と現代音楽研究者(とその卵とひよこ)ばかりなので、フィールド系(卵)は自分だけ。音大系はいない。そういえば東京の聴文研でも大半の人は日本が対象だった。なので対象オリエンテッドな話も基本的にすべて理論と概念レベルで議論することになる。


 忘年会では学部生の卒論および院試の話と「他者」の話をしたことしか思い出せないんですが、とりあえず、「あれ、大阪に来たの今年だっけ?すっかりなじんだね」といわれたのが嬉しかったです。