from Far East to Northern Europe

 日本から香港に戻って一週間足らず。わずかな隙間に香港の人々の間に顔を出し、写真の処理をした後、フィンランド東部で開催されたWorld Forum for Acoustic Ecologyの大会に参加してきました。フィールド中の発表ということで、応募のときも、原稿提出も、そして証明取得のときも周囲の人々に迷惑をかけどおしだったはじめての英語での発表は、発表直前は言わずもがな、あろうことか発表の最中も、そして終わってからもトラブル続きでいろいろな方に助けていただき、無事に香港までたどりつくことができました。


 どれだけぎりぎりだったかというと、原稿がポメラだった点が全てを物語っている気がします。コーデックが対応していなくて動画が再生できないトラブルは前にもありましたが(いや、それも事前にちゃんと対応させておくべきなのですが)、パワーポイントが表示できない事態は予想外でした。私以外にも数件起こったらしく、力技で解決してくださった方々に感謝。その場にいた先生方からは最後に、英語初めてだったの?それにしてはよくやった、というお言葉をいただきました。あと、ちゃんと前を見て話しなさいね、というのは私は日本語でもすっとばしてしまうことが多いので肝に銘じようかと思います。


 発表のほか、私にはなにもかもが初めてのことばかりでした。北欧どころかヨーロッパも、そもそもアジアから出るのすら初めてでしたし、英語が母語の人々と英語で話をするのも先生を除けばほぼ初。一日目の発表を聞いた後、あわてて「そもそも東アジアとは世界地図上のどの地域か」という説明の一枚を加えたくらいです。


 そもそも参加を決めたきっかけだった、スティーブン・フェルド教授に思い切って声をかけたところ、難しい顔から笑顔になって話を聞いてくださり、つたない質問に答えていただけたのも非常に貴重な経験でした。R.M.シェーファー教授とは直接話せませんでしたが(2007年の来日時に先生の通訳を介して質問したことが私の聞きたいことのほぼ全てでしたし)、彼を囲む先達の姿を間近で見られたのもよかったと思います。


 そしてまた、日本の研究会で文献を読んでいたころに先輩方と話していたような「危機感」(私以外の人にとってはもはや諦念に近かったのかもしれませんが)を、欧米でもある層の人々は同じく共有している、ということも感じ取れました。それでいて、Acoustic Ecologyと称するサウンドスケープ(研究/実践)を、まずそれが学術的な理論であること自体の必要性を問う議論が必要らしい、ということも。


 思っていることは山のようにあっても、日本語ですら形にならない反論をナチュラルスピードの英語の議論のなかに突っ込んでいく力は私にはなく、それで非常に悔しい思いをしました。でもそれは「悔しい」であり、ここで恥じる気持ちが起こらなかったのは、どんなに完成度の低い発表でも、自分がここにいることに意味はある、と思えたからだと思います。そしてたぶん、中国に関わる前に欧米に出ていたら、同じ状況にはならなかったのだろうと。


 そんなわけで、いままでぼんやりとしか見えなかった「西のほう」が、自分の地球儀の中にようやくある程度の形と色を伴って描かれ始めました(そもそも、欧米出身の友人すらほぼおらず、いても東欧だったりしたので)。そして同時に、自分が「香港」を選んだことには、広い意味での理由がきちんとあったのだと見つめなおす機会にもなりました。


 なかでも嬉しかったのは、全部終わった後、スタッフだった現地の学部生さんから直接メールをもらったこと。はるか遠くで学ぶ、若い同専攻の人に興味を持ってもらえたことは、今後忘れずにいようと思います。


 ちなみに終了後のトラブルは、事前のビザ取得に不備があり、エクスカージョンのロシア旅行の国境で一人送り返され、フィンランド滞在が二日増えたことでした。話し合いの結果、確認しなかった代理店の責任ということで費用は返してもらえそうです。しかし行った人に後から聞いてみて考えたところ、たとえ連絡が来ていても、私は日本に帰ってビザを受け取らなければならなかったのではという気がしているので、これでよかったかもしれません。


 しかも、疲れきっていたのに、国境でバスを降ろされたとき「ああ、こういうのが私の人生だよね!」という感じで、非常に丁重に謝ってくれた代理店側に悪いと思いつつ、交渉を楽しんでいたあたりには自分でも半ば呆れました。つくづく、トラブルと非常事態の緊張感で生き延びる性質のようです。


会議開催地のKoli国立公園の真夜中、23時の森と湖。



会議終了後、先生方と遊びに行った川の船上からみた跳ね橋。



首都ヘルシンキ夏至前日0時ごろ、バンド演奏で踊る人々。


【追記】WAFEのサイトに自分が撮影した写真が使われていました。NikonP6000、晴天だと本当に綺麗に撮れます(自画自賛)。