ビッグネーム

 朝、研究所に行く途中、キャンパスのモニュメント前で突然声を掛けられ、観光に来た大陸の人から写真を撮るよう頼まれました。さすがにカメラのボタンくらいは押せます。が、「この文字はなんのこと?」と聞かれて答えに詰まりました。


 日本語なら説明できる、英語でもなんとか説明できる、広東語でもその質問ならぎりぎり。しかし普通話で聞いてこられた日には。旅行者にしては珍しく、辛抱強く繰り返し聞いてくれるので、遠い記憶を無理やり引っ張り出し、あやふやすぎる発音と指示代名詞のみで無理やり答えました。一応わかってくれたようでほっとしましたが、相手は私が外国人だとは思っていないようなので、見事に普通話を使いこなす地元の方々に申し訳なくなり、一応弁明しておきました。


 このとき先方がとった、「ちゃんと通じなくてもとりあえず自分の話せる言葉で押し通す」という技術を、我々はあまり使わない気がします。わからない言葉があっても気長に簡単に言い換えて付き合ってくれる人がいると、初学者としては非常にありがたいのです。


 それはともかく。たまたま古い書類をシュレッダーにかけるよう頼まれて、解体しながら次々差し込んでいたら、論文のコピーが出てきました。こちらではコピーも有料なので、もらっておこう、と思って下をめくると、論文の著者の名前がタイプされた12,3年前の手紙が出てきました。曰く、この研究室の先生に宛てて、論文の参考箇所をどう修正したらいいかチェックしてみてください、とのこと。


 え?と思ってもう一度見返したら、結びのあとに自筆でサインが。

"Bruno Nettl"

 うわあああ、と思って思わずD1の院生さんを呼んでしまいましたが、相手は慣れた風でした。これシュレッダーにかけていいのか!?と思いつつ、よく考えたら研究者同士やりとりした手紙なんて山のようにあるわけです。用事が終われば処分するのも当然かもしれませんが。しかし。


 学部入学早々に必死で読んだ彼の論文のレジュメを、ゼミ仲間はもう全員就職してしまったのにもかかわらず捨てきれずにいまの院生室に突っ込んできた身からすると、そういうテキストの生成過程にあたる痕跡を捨ててしまう仕事をするのはいたたまれない気がしました。


 いや、問題はそこではないはずですが。関係者の誰も日本語は読めないから、これくらいならOKです、きっと。