定例研究会

 夏から院生が企画して、先生方に話題提供をお願いしてきた例会。所属する研究室が会場だったので、深夜に新幹線で帰ってきて参加。アメリカの大学における民族音楽学について。名古屋で被る分野の大会があったため集客が懸念されたが、意外と盛況で、ハプニングもありつつ充実したお話を聞くことができた。以下雑感。


 制度に組み込まれる音楽と組み込まれない音楽の話。「授業」としてアンサンブルが成立するための話。そして、教わる側としてのカリキュラム。学部生の半期一コマがまるまる「フィールドワーク」や「採譜」として費やされる、という話はとてもうらやましかった。世界の音楽についての通年講義というのも役立つらしい。その他、Ph.D論文を提出するための試験の話は、『アメリカの大学院で成功する方法』に書いてあったのでなるほどと思いつつ聞いていた。


 先生方が語るアメリカのカリキュラムと、自分が受けてきた学部・修士のカリキュラムの、違いはどこだろう。修士は分野が違うので比べにくいが、ethnomusicologyの授業をいくつ受けただろうとぼんやり考えた。


 ディスカッションは最後、現在日本の一般教養でどのように教えると学生が興味を持つか、という話にシフトしていった。学会で(懇親会ではなくディスカッションで)、「音楽学研究者以外から見た音楽学」のかなり剥き出しの姿が語られるという構図は、もしかしたら貴重なんだろうか。


 「アメリカ式の研究文書の書き方」で表されない研究にも、優れて価値の高いものはたくさんある、という話。緻密に文献を解き、積み重ねて、新しいデータを積み残す作業。事典作り的な作業かもしれない。中国のシンポジウムで中国人研究者の先生方が求めたのは、たぶんそういった姿勢のほうなんだろう。


 懇親会を開くのは大事なんだと実感した。大事な話はそこで決まるらしい。最後のほう明らかに東日本とは違うノリで、なるほど、と納得。


 パフォーマンスとしての自己と、はっきり伝わりやすいテーマ設定とその属する名前と、それを裏打ちする力が足りない。「名刺」を持つことの重要さに気づいた週末だった。