音楽史研究会 

 16世紀イタリアの牧歌劇をめぐる分析。完全に専門外(本当はそんなことを言ってはいけないのだろうけれど、字面をみてもわからない単語が相当多かった)なので、純粋に感想を。

発表内容と議論

 1554年の作品がそれまで/それ以後の牧歌劇とどのような関係にあり、何が新しかったのか、牧歌劇史においてどのような位置づけにあるのかといったようなことを、ひたすら残存するテキストを分析することで追っていく、(「音」に対する自分のスタンスとはある意味対極にあるともいえる)緻密な研究。でも、それら文章を丹念に読み込むことで、舞台での感情表現の方法(モノローグなど)の価値が大きくなっていき、それがオペラの起源なのではないかという仮説はとても大胆で、これだけの緻密な検証を重ねないと言えないことだと思う(それでも現段階では単なる直感だそうだ)。
 しかしフロアからの質問は「その中で音楽はどのような意味を持ったのか」というようなことに終始した(残存楽譜、上演記録など)。それは背後にある、演奏→音楽学→オペラ研究→その起源とされる演劇のテキスト研究、という発表者の来歴が前提にないと(あっても)、こういうタイプの研究を現在の「音楽史」の枠に組み込むことが戸惑われるためらしい。だが、16世紀イタリアのリアルな空間で鳴り響いていた音にこそ意味があるのは当然だとしても、乱暴に言えば「楽譜や演奏のことに触れるのが音楽学だ」とは私には思えなかった。書かれたもの(台本)に基づいて、ことばの変化から掘り起こされる16世紀の音も、切り取り方によっては音楽としての側面を検討しうるであろうし、発表者がそれを「音楽」と見なすからこそ音楽学の発表だったのでは、と。そのあたりの温度差をやはり感じてしまう。

その後

 発表者は自分が高校時代に師事した人で、ちょうどこの日に進路が決まったので報告を兼ねて参加したというのが実際(なのであまり客観的に考えられていないかもしれません)。実に、学部1年生の2月以来だった(そのときも同じような理由で参加)。
 ディスカッションには疑問を抱きつつ、逃避と不安と自責とでピリピリし続けた日々がようやく終わって、そして上京前後から知っている人たちに会えたことでものすごくほっとした。6年前に目を丸くして知らない人に囲まれていたのが、気づけば周りは知り合いばかりという状況になっていた。
 西洋音楽史は、私が覗いている分野の中では特に、人の流れが密だなあ、と思った一日でした。