感想

 問題の所在と結論としては、高度経済成長期に定着した現代の雇用形態は実は団塊の世代にしか通用しないものである。国民の右傾化≒嫌韓・嫌中の真因は、既存の社会が破綻しつつあるあおりを食らって職にあぶれた若年層の、不安定な雇用に対する不安の投影である、と解釈した。これからは流動的な社会になっていく、中国や韓国は一歩早く別の形で流動的な雇用を擁する社会に変質している。
 若年層の嫌韓嫌中といわれれば、ウェブ上の中傷を真っ先に思い浮かべるがそれでいいのだろうか。

 個人的には近現代中国を扱ったフィクションを好んだ時期があるので、文革→現代の雇用につながる話が興味深かった。
 日本に関しては、何より筆者が「若年層の雇用不安」を描く筆致に身につまされるリアリティを感じた。私たちが新卒の年くらい、特に女子の採用状況は傍で見ているだけでも胃が痛くなりそうなくらい冷え込んでいた。
 ただし本書では、女性を取り巻く状況の変化についてはあまり述べられていない(高度経済成長期モデルとして、サラリーマンの夫と専業主婦の妻という構図があり、それが崩れていったとある。だが、日本でその役割を担ってきた層のゆくえが見当たらない。働くべき人口として含まれているのか、そうでないのか)。それでも議論としては十分説得力がある。雇用不安は研究者の卵たちも同じ、というか、さらに不安定だということもまぢかで見ている。
 しかしジェンダー云々以前の問題で、こうした議論に自分を当てはめて考えるとき、ふと気づくとカウントされていないのでは?と考え込むことが増えた。