8月に齧っていたものなど【追記:いまさら詳細】

元は何本かの論文だったものを新書にまとめたそうだ。

1.騒音の文化―イザベラ・バードとエドワード・モース

 バード『日本奥地紀行』の音、モース『日本その日その日』の音を読む
 英国婦人イザベラ・バードの耳にうつる日本の音は「未開」そのものであった。英語圏の彼女にとって、母音を強調する話し声そのものが雑音、野蛮な音。しかしアイヌの音は心地よかったという。モースは労働歌などに関心を示した。自然の音と人のたてる音の教会が不分明とする。また、「西洋の音楽は日本人にとって「まるで音楽とは思われぬ」」(62ページ)という記述がある。日本の学生が西洋音楽を聴いて、なぜ不自然に音を切断するのかと問うたという話である。
 モースは帰国後騒音防止運動に携わっていくらしい。 

2.蝉と三味線―ピエール・ロチ

 ロチ『お菊さん』『秋の日本』などを読む
 長崎で芸者と暮らした日々をつづった小説から、彼女のたてる音を読み取る。差別意識や、「矮小な日本」のイメージの変遷、ロチがパリにもたらした日本のイメージに向けて検証。

3.<共鳴>の持つ意味―ラフカディオ・ハーン

 ハーン"耳の人"の著作から、日本の音を読む
 「日本の音楽としてハーンの関心を引くのは三味線を弾いて家々を廻る門付けの女の歌う俗謡や子供たちのわらべ歌、唱歌などである」115ページ
 『怪談』における海の音の捉え方など。

4.始源の音を求めて―ポール・クローデル

 ―私が寺を建てたのはそこから落ちる水滴の音を聴くためであった。― (168ページ)
 「水滴の音を聴くことによって初めて、それを実現する堂という空間は実態としての姿を現すことになる」(184ページ)
 クローデルは「もののあはれ」の思想に惹かれた。能のなかに、彼は「間」や音の役割を見出していく。
 ダリウス・ミヨーに対して書簡を送り、日本の森に永遠の水音がある、と記している。

 明らかに修論で使う(3章だと思う。一番不安)ので、もうすこし詰めます。

 ちなみにクローデルは彫刻家カミーユ・クローデルを姉にもつ。

カミーユ・クローデル [DVD]

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 師・ロダンと弟・ポールに多大な影響を与え、晩年は精神病院で過ごした女性。たぶん「美の巨人たち」で、こちらを先に知ってしまった、のは秘密で。(映画は未見ですが)