Inter-National?

Ethnomusicology

Ethnomusicology

 から、DAUGHTRY, J.Martin, "Russia’s New Anthem and the Negotiation of National Identity",pp.243-260.を読みました。2000年のロシアにおいてプーチン大統領のもと、それまでのロシア国歌が改められた経緯について、当時インターネット上でさまざまにたたかわされた、政治家とインテリの間の論争を歴史的経緯とともに分析した小論。


ソビエト連邦の旧国歌(インターナショナル)


スターリン時代に制定された国歌(旧ボルシェヴィキ党歌)


その後エリツィン大統領が定めなおしたグリンカの愛国歌(歌詞がない)から、2000年にプーチン大統領が再制定した国歌(スターリン時代の歌の歌詞を当時の作詞者によって再編したもの)へ


 曲は同じなのですが、スターリン賛美の歌詞が変更されたりしています。「歌詞を変えても、染み付いた記憶は変わらない」というインテリの発言と、「気分を高揚させることが大事だ」という政治家(元軍人だったり)の発言に見るのは、「歌には力がある」ということではなくて「なぜ力があるように感じるのか」という点だ、とは思うのですが、そこをクリアにするのが難しい。


 日本で読んだら、これがVirtual Fieldworkであることや、Imagined Communityの概念で分析されていることや、ロシアにおけるNational Identityの問題などに気がむいたに違いないと思うのですが。ゼミのメンバーの構成は、それよりも、「国歌」というものについての認識を相互交換するところからはじめなければなりませんでした。


 担当の教授は台湾の出身。ゼミメンバーのうち、2人が香港出身、3人が中国大陸出身、そして私は日本の出身。最近、イベントで中国の国歌を聴くことも増えてきて、思うところが非常に多くありました。というか予習するうち、東アジアにおけるNational Anthemについて調べ始めてしまい、論文は半分どうでも良くなってしまった感が。


 香港の「国歌」は、中華人民共和国国歌で(マカオも同じ)、97年以降に学校で教えられ始めたそうです。以前のイギリス国歌は「別に歌えないし覚えていない」ということらしく。つまり、これですね。


 香港では別に歌いたくなければ歌わなくていいそうですが(歌詞は普通話ですし)、大陸では毎週、二番まで演奏され、一番は起立して拝聴、二番は斉唱しなければならないとのこと。で、周知のとおり、この曲の起源はここ。中国でも、80年以前の一時期は毛主席を賛美するものだった歌詞が、現在では元の歌詞に変更されたようです。


 で、台湾はもっと強烈で、毎日歌わされるほか、TVも映画も演劇もスポーツも開始前にこれを流す義務があったそうです。確かに台湾に行ったとき、流れてきた録音にあわせて学生さんがいっせいに歌いだしてびっくりした記憶は鮮烈です。


 そんなわけで、必然的に君が代の説明もしなければならないわけで。われわれの思う君が代の「扱いにくさ」自体が、あまり通用しないような気もしながら、否が応でも、大戦と現在との対比、大戦を振り返る姿勢の違いについて考えざるを得ませんでした。


 昔、スペイン語の先生がメキシコに留学した経験から、いまでもサッカーやオリンピックで国歌を聴くと起立斉唱してしまう、と言っていたのですが、そういう「留学生的なふるまい」を自分が身につけることはないだろうな、と複雑に思います。政治的意見を差し挟まずとも、その「敵人」って、とか思ってしまうわけです。さすがに。


 それぞれに未解決の大きな火種をいまだに抱えた東アジア地域の人たちと接していると、そこから向けられる「日本」への視線と、日本からそこへ向けられる視線の質量があまりに違いすぎる気がして戸惑うことも多いです。「你好」と「謝謝」以外の中国語を知っている日本人がこんなに多いとは、とても思えないので。


 いま、私が中国(広義の中国文化圏)で出会うのは、たいてい同世代、つまり80年以降に生まれた人たちで、特に香港では90年代生まれの子たちともよく話をします。交流し始めてまだ1年そこそこの現在、うっすらと感じるのは、時に、同じ国の違う時代に生まれた人たちとよりも、同じ時代に近隣の違う場所で育った人たちとのほうが、共有しやすい何らかの感覚がある、ということ。けれどもそれはあくまで「感覚」であり、それをどう捉えるかは、個々の背景によってまったく異なってくるのだということ。


 ここからは韓国の人も含めての話ですが、たとえば政治的な話をじょうずに避けながら話をする技術は、当たり前のようにみんな持っています。太平洋戦争のことを話すときにも、それが「相手にとってかなりの程度冗談に映るように」話すのがマナーなのかと思うくらいで。


「インターナショナル」の音源を聴いていたら、これがローカルバージョンだから!と、こんなのを勧められました。広東語のダブルミーニングをフル活用したカバー(というのか?)。まだなんとなくしかわからないのが悔しいところ。


 われわれが生まれ、成長してきた時代が、はじめからたとえば中国製の製品や、避けて通れない英語教育や、子ども向けのテレビや日本発のキャラクターグッズやドラマを抜きにして語れないものだったこと。「学校で学んだ戦争の記憶」はあくまで「教わった記憶」であり、自分は自分の意見を持ってよい(それが「自分には関係がないことだ」という意見でも構わない)ということ。そして、「人はみな平等であり、差別されるべきではない、という、事実であると同時にもっとも大きな建前」を当然のように場面に応じて使い分けながら育ってきた層に自分が属している、というシンプルな事実に、改めて気づきました。