呼び捨て?

 出遅れつつ、長い鈍行のなかでぱらぱらと読んだ。自分自身が初音ミクの声を聴いて思ったのは「留守番電話を外から聞いたときに、かけてきた番号を教えてくれる音声」で、原理的にも多分間違っていない。


 面白かったのはやはり対談で、引っかかったことは、「オリジナル信仰」はみんなとっくに過去のものとしているのに、「オリジナリティ信仰」に関してはまだどこかで崇拝が残っているんじゃないかという点だった。「新しさ」とは何か?と。


 「声」はあくまで人体(口・喉)に帰属する、というイメージから人は抜け出せず、だから初音ミクは楽器としてではなくヒトを投影された<キャラ>として売れている。で、それを喜んで消費する人もいれば、面白くないとする人もいる。単に声が気持ち悪いという人もいる。「視覚なら人間形じゃなくても萌えられるのに」という指摘は、かねてから感じていた疑問に結びついた。


 聴覚と視覚を単純に比べてもなかなか論じにくいのは、<視覚化できないもの>は曖昧ゆえに<見えるもの>より神聖化されるせいかといつも思う。演奏者や評論家が音楽を語る言葉がときどきあまりにもどうしようもないのは(「言葉では語りつくせない」という陳腐な形容を使う人が多いのは)、その見えない信仰のせいなのかもしれない、とずっと思ってきた。その先は私にはまだわからない。


 で、一方でいま興味があるのは、この本を15−40歳の《音楽好き》が集まる場で取り出したところ、「あ、初音」という声が上がったのが最若手の高校生グループだったこと。iPod nanoの極小画面で球技コミックのミュージカルを見てエキサイトする彼女たち、堂々とリアルで語り、フルネームで呼ばない、という点が妙に新鮮で、食い下がったら面白そうでした。