近所のショッピングモールの投げ売りで、3枚500円で発見。元音楽学部生とは思えない情けなさですが、MDでしか持っていない作品も結構あったので、シリーズ10枚セット+別シリーズを2枚足して衝動買いしました。

ザ・ピアノ・マスターズ1

ザ・ピアノ・マスターズ1

ザ・ピアノ・マスターズ2

ザ・ピアノ・マスターズ2

ザ・ピアノ・マスターズ3

ザ・ピアノ・マスターズ3

ザ・ピアノ・マスターズ4

ザ・ピアノ・マスターズ4

ザ・ピアノ・マスターズ5

ザ・ピアノ・マスターズ5

ザ・ピアノ・マスターズ9

ザ・ピアノ・マスターズ9

ザ・ピアノ・マスターズ10

ザ・ピアノ・マスターズ10

 Amazonには全部ありませんがちゃんと10枚あります。Vol.2はギーゼキングではなくホロヴィッツでした。

雑感

 こういう「巨匠の演奏」に関する文章を一生懸命拾おうとしていた高校の図書室の音楽書棚(普通の公立校なのに、相当充実していたのもいい思い出)が思い起こされる。こういうものが音楽なんだと思いつつも、いつも疑問が渦巻いていて、まじめに聴いていた当時よりも、いいホールでいつでも生の演奏が聴けた大学時代よりも、たぶん今がいちばん「クラシック」を聴いていて楽しいと思えることにも、複雑な感情はある。


 高校の教室で12月にバレエを観にいきたいと誘ってみたら、「なんか高尚だねー」といわれて誰もつかまらなかったことを思い出す。観たかった演目は3年後の12月、大学の講義でチケットをいただいて観ることができた。しかしそのとき、同級生のなかでバレエ初観劇という人は、ほぼ私だけだったような気がする。


 文化資本とかそういう話をしたいわけではなく。どうも自分がアンバランスな世界で無理やりバランスを取っていたらしいことが、ようやくわかってきた。そしてそれは常に、イメージやテキスト先行で聴覚は後からフォローしてきたのではないかと思う(このCDもそうだが、演奏録音を耳にするより前に作曲家評や作品解説を読んだものがなんと多いことか!)。こういった音楽のイメージを作り上げて浸透させているものに興味を持てば話は早かったのかもしれないが、自分は「場所」のほうに関心を持ってしまって回り道をしたのかな、と今は思う。

 「場所」。避けられそうにないけれど、相当難しいなあ、と先日の学会でも実感した。