旧正月

 差し迫る原稿の中、春節南京町へ。華僑資料館と春節祭を見学。


 感じるだけでは全然足りなくて、たくさんの流れを踏まえたうえで考えて、自分がみつけた(と信じる)新しいことをその新しさと意味と意義が伝わるように、説得力のある言葉で相手に届くように、相手の反応をきちんと想定して、そうやって語りかけることの難しさ。それは4年前の時点で感じていたことと全く同じで、けれど立ち止まって何一つ踏み出せずにいたら、流れはどんどん先へ先へと走ってしまう。


 当時の私的な記録をまじめに読み返すと、結局自分は螺旋階段を右往左往しながらぐるぐる回って、同じ風景が見える位置へと戻ってきてしまったのだと思う。音楽概念に対する問いは避けられず、フィールドの無謀さにもようやく気づき、基礎的な知識がまったくないまま山積みの課題に一気に向き合う羽目になった2003年の秋冬、「問題設定と分析と考察を同時にしようとした」ために解けなくなってしまった結び目の数々。問題が大きすぎることにだけは気づいていたけれど、当時の自分にはどれを選び切り縮めていけばよいかが全く分からず、重すぎて逃げた。


 院の3年間で学んだことは、その手順がなぜ間違っていたのか、どのように段階を踏むべきだったのか、といったことだった。ほんとうはそれだけでは駄目で、土台をきちんと築かなければならなかったのだけれども。


 3年空けてまた、同じ問いと同じ感覚に、逃げずに向き合えるだろうか。この領域の人たちは、年単位の時間を、対象に向き合うことに費やしている。それは決して悠長なわけではなく、対象の人生(もしくは、それ以上のもの)を語るために自分の人生を賭けるということなのだと今は思う。そして、その前にかかる時間と、そのあとに築くものに、自分の力が反映される。たった15日ほどの記録を掘り起こすたびに出てくる山のような問い。この4年間は、それを整理するための時間だった。積み残しを常に抱えつつ、これから2年、3年かけて、みつけだすことができるだろうか。またも、博打を打つ日々。