海の向こう

 また上映会の助手をしに、鹿児島県へ。この一年で、研究室の外へ出ることにようやく慣れてきた。そして前回で要領をつかんだので、とにかくひたすら写真を撮っていた。そして自分で土地の人と話し、問いかけ、教えてもらうことに、その場所で身体を動かすことの意味に、ようやく向き合えた気がする。
 ここ最近で、この2年間閉じ込めてきた何かを、ようやく思い出しかけていた。ようやく腑に落ちたのは、歌うことも、弾くことも、踊ることも、聴くことと直結していて、両方を通して浮かぶなにかが、そもそも自分をここへ縫いとめたのだということ。だから、それが音楽であることに意味があったし、そうでありながら、そこに留まっていては欲しい答えが得られないということ。


 ウェブにほんとうのことを書くことが危険だという話をした。しかし危なさを承知したうえでなお続けるのは、こうして「分野のはざま」に居続けようとしながらも、そういう人や情報が集まってくる中心地には居続けられない自分が、かつて気に留めてくださった方々の記憶からそのうち完全に忘れ去られてしまうことのほうが、今となっては何倍も怖いからなのだと思っている。