第一世代と第二世代

 昨日のつづき。自分のことは一旦棚上げで、全体の感想を。


 部屋に入ったらプロジェクタが正面にあって、発表者席があって、椅子が並べてあって、まずそのことに驚いた。司会の方もいらっしゃって、学会発表の形式のよう。会場の特性もあるのだろうけれど(あと人数の関係)、ロの字形の机をみんなで囲んで延々と議論する、というスタイルになじんできたので(聴文研でも現代人類でも)、ちょっと新鮮だった。と同時に、3時間で終了したのもちょっとびっくり。議論は懇親会で、というスタイルなんだろうか。


 で。懇親会で直接お話できたのだが、以前「視聴覚文化研究はどうあるべきか」論争が起こったとき、実は私もリアルタイムで前川先生のstereo diaryを覗いていた。率直に言うと「……ウェブ上で内輪揉めって、元気だなぁ」と思いながら見ていたのだが。その後、同じようにリアルタイム観察していた(人もいる)東京の聴覚文化研究会メンバーの間でも、主にMLを手段として、「聴覚文化研究ってどうよ」論争が繰り広げられた。両方を見ていると、どう考えてもかなりの温度差があるのだ。「今、人文系の院生として視覚文化研究に携わることの意味」を求めている(ように読み取れる)関西の議論に対し、「聴覚文化研究という領域を背負うのはまだ早いし、今は集まって議論するための看板として使って、議論の内容をそれぞれの専攻で生かしていくべき」という東京の見解。


 たぶん、視聴文研の人たちの議論が「内輪揉め」に見えてしまったところが、違和感のポイントなのだろうと思う。所属大学院こそばらばらだが、美学・美術史研究室の人が大半で、研究会の母体はその人たちの指導教員同士が学生時代に作っていた会だという。お話を伺っていて印象的だったのは、私に対して言われたコメントの「普通の人一人二人を抽出して話を聞いても、それがその文化全体を表す特徴だとは絶対にいえないはず」ということと、「写真についての発表は、美術史学会では受け入れてもらえない」「ああいう議論は、自分たちの存在をアピールするいい機会」「オムレツ大会で話し合って、最後に、“でもなんで作家の話をしないの?”というコメントが出た」というあたり。


 基本が、美学・芸術学・哲学などの方法論で、対象としてかなり前衛的(というと語弊がありそうだが)で、旧来の美術としてとりあげにくいような題材を扱う人たちの集まりなのだろうと感じた。もちろん個別の議論はさまざまなのだろうが、共通の敵は、「旧来の美術研究」なのではなかろうかと。それに対し、聴文研のほうは、そもそも音楽学に属している人といったら芸大所属くらいで、既にそれぞれが自分の研究室において「音楽や音を扱っているという時点で」マイノリティだ。視聴文研の人たちは、近い方法論を持って、それぞれの対象を議論しているように見える。聴文研の人たちは、異なる方法論を背景に持って、同じような対象について議論をしていたように思う。あとは学年のばらつきとかそういう原因もあるだろうが、温度差の原因をなんとなくそこに見た。


 で、これはそのまま、「美学・美術史・芸術学」と「音楽学」の領域の大きさの差に繋がっているのではないだろうか。よほど力の入った大学でない限り、単独で「音楽学」のゼミはない。あるとすれば音大になる。音楽学のゼミがない総合大学で音楽に関する研究を専攻したい人は、そりゃ、芸術学のゼミに入ることになるだろう(この辺は大学受験のとき調べつくした)。そして、芸術学系のゼミと音大系・音楽学ゼミの間ではさほど交流がない。それは東京でも、芸術学や美術系の人とそこまで交流がなかったのと同じだと思う。ここは、狭間にいる自分が少し頑張って繋げてみたいな、と思った点だ。


 同じように、母体である領域からこぼれるような研究をしていても、その位置づけはかなり異なる。私から見ると、美術史・芸術学の「内部」は広く、それゆえにその中で「視覚文化」という居場所を作っているように見えた。そもそもそれぞれのディシプリンの「外」に居場所を作った聴文研とは成立過程から違うし、だからこそ、「誰に向かって研究の意義を言明するのか」も異なっているように思う。視覚文化研究が第二世代とすれば、聴覚文化研究はまだ第一世代ですらない(ポピュラー音楽研究は第二世代に差し掛かっているようだけれども)。新しい領域を開拓していく院生として、担うべき役割も、かなり異なる。


 ……まぁ、現場での自分を省みると、途中で混乱してしまって質問にすら的確に答えられなかったのだが。正確に言えば、「音楽と音の切り分け」の話で、「美的なものの在り処」という問いがストレートに来るというのが意外すぎた、というのか。「美的なもの」自体を社会的背景に投影して読み解くくらいの発想で話していることを、その場でちゃんと思い出せなかった。自分自身がいろんな考え方の場所を行き来することの弊害として、誰と、なにを前提として共有しているか(しかも明確に言語化しにくい土壌を)を、即座に切り替えられないというデメリットがどうしても生じる。これは修業が足りない、ということだ。